「本」を含む四字熟語一覧
本を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
一本調子(いっぽんちょうし)
ほとんど変化がなく、面白みがないこと。 音楽や文章、話し方などのことをいう。
一本調子(いっぽんぢょうし)
ほとんど変化がなく、面白みがないこと。 音楽や文章、話し方などのことをいう。
王法為本(おうぼういほん)
現世の法律や秩序を根本とすること。 「王法」はこの世の法律や秩序のこと。 仏教の言葉で、浄土真宗の本願寺蓮如が説いた考え方。
開迹顕本(かいしゃくけんぽん)
仏教の開祖である釈迦は仮の姿で現れた仏であり、本当の姿は永遠の過去に悟りを開いた仏であるということをはっきりと示すこと。 「迹」は迹門(しゃくもん)のことで、仏や菩薩が人々を救うためにこの世に現わす仮の姿。 「本」は本門のことで、仏の本当の姿。 『法華経』で重視するもので、全てのものが仏になることができるということを示すもの。
記事本末(きじほんまつ)
始めから終わりまで一まとめにして記述する、歴史書の書式の一つ。 南宋の歴史家の袁枢が『通鑑紀事本末』を完成させたのが始まりとされている。 「記事本末」とも書く。
紀事本末(きじほんまつ)
始めから終わりまで一まとめにして記述する、歴史書の書式の一つ。 南宋の歴史家の袁枢が『通鑑紀事本末』を完成させたのが始まりとされている。 「記事本末」とも書く。
帰正反本(きせいはんぽん)
悪い状態をよい方へ変えて、元のあるべき状態に戻ること。 「正に帰り本(もと)に反(かえ)る」とも読む。
帰巣本能(きそうほんのう)
動物がどこにいても自分の巣に帰りつくことが出来る、生まれた時から持っている能力。
興味本位(きょうみほんい)
面白いか面白くないかだけを判断の基準にすること。 「興味」は物事に心を惹かれ、面白いと思う気持ちのこと。 「本位」は行動や考えなどを判断する時に基準になるもののこと。
孝百行本(こうひゃくこうほん)
孝行は様々な善行の基本であるということ。 「孝(こう)、百行(ひゃっこう)の本(もと)」とも読む。
舎本逐末(しゃほんちくまつ)
物事の根幹となる大事なことをいいかげんにして、必要のないことに関心を持つこと。 「舎本」は根本を捨てること。 「逐末」は末節を追うこと。 「本(もと)を舎(す)てて末(すえ)を逐(お)う」とも読む。
出世本懐(しゅっせのほんがい)
釈迦がこの世界に現れた本当の目的。 「出世」は釈迦がこの世界に現れること。 「本懐」はもともとの望み。 全ての人々を救って成仏させようという意志や、浄土へ導こうとする意志のこと。
推本溯源(すいほんそげん)
物事の根本を考えて、その全てを知ろうとすること。 根源を推察して、根源にさかのぼるという意味から。 「本を推(お)して源(みなもと)に溯(さかのぼ)る」とも読む。 「溯源」は「遡源」とも書く。 「そげん」は「さくげん」とも読む。
推本遡源(すいほんそげん)
物事の根本を考えて、その全てを知ろうとすること。 根源を推察して、根源にさかのぼるという意味から。 「本を推(お)して源(みなもと)に溯(さかのぼ)る」とも読む。 「溯源」は「遡源」とも書く。 「そげん」は「さくげん」とも読む。
他力本願(たりきほんがん)
自分は努力せずに、他人の力だけを頼りに望みをかなえようとすること。 「他力」は自分以外の人の力のこと。 「本願」は仏と菩薩が修行しているときに立てた誓いのこと。 もとは仏教語で、本来の意味は阿弥陀如来の本願の力で極楽往生できることを願うこと。この用法での他力は阿弥陀如来の力のことを指す。
敵本主義(てきほんしゅぎ)
本当の目的を隠し、別の目的があるようにみせて、本当の目的を果たそうとするやり方。 安土桃山時代、明智光秀が毛利攻めを口実に出陣して、織田信長を討ったときに言った「敵は本能寺にあり」から出た言葉。
抜本塞源(ばっぽんそくげん)
災いの原因になるものを完全に取り除くこと。 「抜本」は木の根を引き抜くこと。 「塞源」は水源を塞ぐこと。 中国の春秋時代、晋が周を攻めようとしたときに、周の景王は晋の平王に使いを出し、周を攻めることは、同族の本家である周をないがしろにして、木の根を抜き、水源を塞ぐようなものだと言ったという故事から。 「本(もと)を抜き源(みなもと)を塞(ふさ)ぐ」とも読む。
報本反始(ほうほんはんし)
天地や祖先の恩に感謝して恩返しをすること。 「本」と「始」は物事の一番初めのもの。 「報」と「反」はふさわしい恩返しをすること。 自分自身が存在するに至った根源の全てのものに報いようとする気持ちをいう言葉。 「本(もと)に報い始めに反る」とも読む。
本覚大悟(ほんがくたいご)
心の迷いから抜け出して、仏の性質を理解すること。 「本覚」は人間が生まれながらにして持っている仏性の悟り。 「大悟」は煩悩を捨て去り、悟りを開くこと。
本覚大悟(ほんがくだいご)
心の迷いから抜け出して、仏の性質を理解すること。 「本覚」は人間が生まれながらにして持っている仏性の悟り。 「大悟」は煩悩を捨て去り、悟りを開くこと。
本家本元(ほんけほんもと)
正しい系統や血筋の大本のこと。 「本家」と「本元」はどちらも一番の大本という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
本地垂迹(ほんじすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんちすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんちすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本末転倒(ほんまつてんとう)
物事の重要な部分とそうでない部分を逆に捉えてしまうこと。 「本末」の「本」は大事なこと、「末」は取るに足らないこと。 「転倒」は逆さにすること。
本来面目(ほんらいのめんぼく)
人が本来もっている、人としての心の本質のこと。 「本来」は初めからの状態のこと。 「面目」は姿形、容姿のこと。 禅宗の言葉。
本来面目(ほんらいのめんもく)
人が本来もっている、人としての心の本質のこと。 「本来」は初めからの状態のこと。 「面目」は姿形、容姿のこと。 禅宗の言葉。
本領安堵(ほんりょうあんど)
忠誠を誓った武士に対して、幕府や領主が領地の所有権を認めて保障したこと。 「本領」は先祖から受け継いだ領地。 「安堵」は所有権を認めるという意味。