「悟りの境地」に関連する四字熟語 — 37 件
「悟りの境地」に関連する四字熟語を一覧で紹介します。各四字熟語の読み方・意味もあわせて確認できます。全37件を五十音順に掲載しています。
四字熟語一覧(五十音順)
一字不説(いちじふせつ)
仏法の真理や悟りの境地は大変奥深く、言葉で言い表すことはできないため、自ら体得するしかないということ。 釈迦が悟り得た境地の真理は一字も説いていないことから。 「不説一字」ともいう。
一超直入(いっちょうじきにゅう)
迷いを乗り越えると、悟りの境地に至ることができるということ。 「直入」はすぐに悟りを得ること。 仏教の言葉で、煩悩を捨てさってしまえば、すぐに悟りを得ることができることを言う言葉。
有漏無漏(うろむろ)
煩悩のある人と、煩悩の無い人のこと。仏教の言葉。 「漏」は六根(感覚器官である目、耳、鼻、舌、身、意の六つ)から漏れ出るもの、転じて煩悩のこと。 「有漏」は煩悩から脱することが出来ない人のこと。 「無漏」は煩悩を振り払い、悟りの境地に達した人のこと。
円頓止観(えんどんしかん)
人格を完成した完璧な悟りの境地をいう言葉。 すべての物事を完全に備えていて、雑念がなく、直ちに悟りに到る境地のこと。 すべての存在がそのまま真実の理法にかなうことを正しく観察すること。 主に仏教の天台宗で「漸次止観」、「不定止観」と合わせて、「三種止観」と呼ばれる言葉。
廻途復妙(かいとふくみょう)
あらゆるものを認めることのできる境地。 空の見地から一度否定したものを、悟りの見地から認めるということから。仏教の言葉。
廓然無聖(かくねんむしょう)
不満や疑念などのわだかまりがなく、聖なる真理などないと悟ること。 「廓然」は心が広々としていて、わだかまりなどなにもないこと。 「無聖」は凡人と聖者の差がないという意味。 仏教の言葉で、古代中国の南北朝時代の梁の国の武帝が、インドから来た達磨に聖諦第一義のことを尋ねたという故事から。
空空寂寂(くうくうじゃくじゃく)
この世の形の有るもの無いもの全ては実体や本性が空で、思惟分別を超えているということ。 または、何も無く静かな様子。 または、無関心や、煩悩のない無心な状態。
灰身滅智(けしんめっち)
煩悩を無くし、身体も心も無にした悟りの境地のこと。 仏教の言葉で、小乗仏教の理想の境地とされている。 「身(み)を灰にして智(ち)を滅す」とも読む。
恍然大悟(こうぜんたいご)
ちょっとしたひらめきから悟りを得ること。 「恍然」はふとした瞬間にいきなり理解すること。 「大悟」は煩悩をなくして悟りを得ること。
光明心殿(こうみょうしんでん)
生まれた時から備わっている心の悟り。密教の言葉。
枯木寒巌(こぼくかんがん)
世俗を超えた悟りの境地のこと。 または、冷淡で付き合いにくい態度のこと。 「巌」は岩のこと。 枯れた木と冷たい岩のことで、情念や煩悩を捨て去った悟りの境地をいう禅宗の言葉。 「寒巌枯木」ともいう。
虚融澹泊(こゆうたんぱく)
悟りの境地のこと。 「虚融」は無心で心にとどこおることが何もないこと。 「澹泊」は欲が無く、こだわらないこと。
言語道断(ごんごどうだん)
言葉で言い表すことができないほどひどいこと。 とんでもないこと。 「言語」は言葉に出して表現すること。 「道断」は言うことが断たれること。 「道」は言葉で言い表すという意味。 元は仏教語で、仏教の真理や悟りの境地は、言葉で言い表して説明することは出来ないという意味。 現在では悪い意味で使われることが多い言葉。
視生如死(しせいじょし)
生も死も同じように受け止め、全く変わることのない態度をとること。 生と死に対する執着がなく、そのどちらにも囚われない心の状態をいう。 「生(せい)を視(み)ること死(し)の如(ごと)し」とも読む。
出離生死(しゅつりしょうじ)
生と死の苦しみから離れて、悟りの境地を得ること。 仏教の言葉で、生と死の迷いの世界から離れるということから。
生滅滅已(しょうめつめつい)
仏教の言葉で、生と死を超越して、煩悩が無くなった安らぎの境地である涅槃に入ること。 「生滅」は生まれることと死ぬこと。 「滅已」はなくなるということ。
自受法楽(じじゅほうらく)
仏がみずから、自分の悟りの境地を味わい楽しむこと。 「法楽」は仏の教えから得られる楽しみ。 空海は『弁顕密二教論』で、大日如来がこの楽しみのうちに説いた教えこそが密教だとした。
寂滅為楽(じゃくめついらく)
仏教語で煩悩を滅した悟りの境地に、真の安楽があるということ。 「寂滅」は「涅槃(ねはん)」と同じ意味で、煩悩を滅した悟りの境地、「為楽」は楽しみをなすという意味。
寂光浄土(じゃっこうじょうど)
仏の住んでいるとされる静かで汚れのない世界のこと。または、仏道の悟りの境地のこと。 「寂光」は真理の静寂と真智の光。 「浄土」は汚れがなく清らかな国。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
悟りの境地にある四つの徳のこと。 「常」は永遠であること。 「楽」は安楽であること。 「我」は他からの束縛を受けないこと。 「浄」は煩悩のない清らかな境地。
絶観忘守(ぜっかんぼうしゅ)
禅宗の言葉で、真理のことを考えることをやめ、正しい実践を超越すること。 「絶観」は真理を追究することをやめること。 「忘守」は正しい実践を忘れること。 悟りを超越した境地をいう言葉。 「観(かん)を絶(た)ち守(しゅ)を忘(わす)る」とも読む。
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
生きたまま悟りの境地に達して仏になること。 「即身」は肉体が生きている状態のこと。 「成仏」は仏になること。
大悟徹底(たいごてってい)
欲望や迷いなどの煩悩を全て捨てて悟りを得ること。 「大悟」は真理を会得すること。 「徹底」は端から端まで全てに行きとどくこと。
打成一片(だじょういっぺん)
他のことを全て忘れて、一つのことだけに力を尽くすこと。 仏教の言葉で、禅宗の座禅に没頭して達する悟りの境地のこと。
電光影裏(でんこうえいり)
人の一生は短く儚いものだが、悟りを得た者の魂は滅びることなく、永久に存在するということのたとえ。 中国の宋の僧の祖元が元の兵に襲われたときに唱えたとされる、「電光影裏、春風を切る」という経文の一句を略した言葉。 命は落としても魂は消えることはないということをたとえた言葉で、春風を鋭く光る稲妻で切り裂いたとしても、春風は何の影響もなく、いつもどおり吹くという意味から。
得意忘言(とくいぼうげん)
悟りや真理に達した際には言葉が不要になるということ。 言葉は真理に至るため、また相手に思いを伝えるための道具であり、本質が伝われば言葉は忘れてしまっても良いという意味から。 荘子の教えの一つ。 「意を得て言(げん)を忘(わす)る」とも読む。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
煩悩のない悟りの境地は静かで穏やかな世界であるということ。 「涅槃」は煩悩の炎を吹き消すという意味から、悟りの境地のこと。 「寂静」は心静かに落ち着いた様子。 仏教の基本的教義である「三法印」や「四法印」の中の一つ。
涅槃寂滅(ねはんじゃくめつ)
仏教で基本的教義である三法印や四法印の中の一つで、煩悩のない悟りの境地は静かで穏やかな世界であるということ。 「涅槃」は梵語のニルヴァーナの音訳で、煩悩の炎を吹き消すという意味から、悟りの境地のこと。 「寂滅」は悟りの境地に入ること。
畢竟寂滅(ひっきょうじゃくめつ)
悟りを極めて境地にたどり着くこと。 「畢竟」は究極のという意味。 「寂滅」は煩悩を全てなくすことで得られる心の静かさのこと。
不可思議(ふかしぎ)
人間の持っている知識では理解することができない出来事やその様子。または、常識では考えることすらできないおかしな出来事やその様子。 元は仏教語で、普通の人が考えても思いつくことができないようなことや、言葉で言い表すことが出来ないことをいい、仏の知恵や神通力、悟りの境地などのことをいう言葉。 「不思議」という言葉は「不可思議」を略したもの。
無上菩提(むじょうぼだい)
もっともすぐれた悟りのこと。 「無上」は仏の悟りということから、最もすぐれた悟りのこと。 「菩提」は悟りのこと。
無念無想(むねんむそう)
何も思わず何も考えない無心の状態のこと。 「無念」は仏教語で迷いを捨てて心が澄んでいる状態のこと。 「無想」は何も考えないということ。 特に何も考えていない思慮の足りない様子を指すこともある。 「無想無念」ともいう。
無余涅槃(むよねはん)
精神だけでなく、肉体の制約からも解放された完全な悟りの境地のこと。 「無余」は何も残っていないこと。 「涅槃」は煩悩を完全に捨て去った悟りの境地のこと。
迷悟一如(めいごいちにょ)
仏教では、迷いも悟りも仏になる本性をもつという観点からどちらも同一のものであるということ。
物我一体(もつがいったい)
仏教語で他の人と自分が一つになり、他者も自分もない境地のこと。
遊戯三昧(ゆげざんまい)
何ものにもとらわれず、思いのままにふるまうこと。 また、気の進まないことでも、それをすること自体を楽しむこと。 「遊戯」は仏教の言葉で、仏や菩薩、悟りを開いた者が自在にふるまうさまをいう。 「三昧」は一つのことに心を集中させること。
柳緑花紅(りゅうりょくかこう)
人が手を加えていない自然のままの美しさのこと。 緑の柳と紅い花のことから、春の美しい景色をいう言葉。 禅宗では、柳は緑で花は紅いという自然そのものの姿こそが悟りの境地であるということ。 「花紅柳緑」ともいう。
