「行いの報いを受ける」に関連する四字熟語一覧
「行いの報いを受ける」に関連する四字熟語の一覧です。
悪因悪果(あくいんあっか)
元は仏教語で、悪いことをすると必ず悪い報いがあるという意味。 「悪因」は悪い報いの原因、「悪果」は悪い結果や報い。 悪いことをせずに、正しいことをするべきであるという戒めの言葉。
悪因苦果(あくいんくか)
元は仏教語で、悪いことをすると必ず悪い報いがあるという意味。 「悪因」は悪い報いの原因、「苦果」は悪い結果や報いということ。 悪いことをせずに、正しいことをするべきであるという戒めの言葉。
一業所感(いちごうしょかん)
複数の人の前世の同じ業によって、複数の人が同じ報いを受けること。 たくさんの人が災害などにあった時に、前世の同じ業による報いを受けているということを説明する言葉。 「業」は必ず結果が出る過去の行い。 「所感」は過去の行いから生まれる結果。
因果応報(いんがおうほう)
よい行いには必ずよい報いがあり、悪い行いには必ず悪い報いがあるということ。 「因果」は原因と結果。 「応報」は善悪に応じた報いがあること。 元は仏教語で、過去や前世の行いの善悪に応じた報いがあるという意味。 現在では、悪い行いの報いの意味で使われることが多い言葉。
因果覿面(いんがてきめん)
悪いことをした報いがすぐにあらわれること。 「覿面」は目の前で見るという意味から、すぐに結果が出ること。
因果報応(いんがほうおう)
よい行いをすれば必ずよい報いがあり、悪い行いには悪い報いがあること。 「因果」は原因と結果。 「報応」は行動の善悪にあわせた報いがあること。 もとは仏教語で、過去や前世の行いの善悪にあわせた報いを受けるという意味。 よい行いの場合には「善因善果」、悪い行いの場合には「悪因悪果」という。 現在では悪い行いの報いとして使われることが多い言葉。
陰徳恩賜(いんとくおんし)
ひそかに善い行いをしている人は、必ずよい報いがあり、恩恵を受けることができるということ。 「陰徳」はひそかに行う善行。 「恩賜」はありがたい恩恵。
陰徳陽報(いんとくようほう)
誰にも知られないように善い行いをすると、必ずよい報いがあるということ。 「陰徳」は人知れずに善い行いをすること。 「陽報」は一目でわかるよい報いのこと。 「陰徳あれば必ず陽報あり」とも読む。
于公高門(うこうこうもん)
人知れず善行を積んだ家の子孫は繁栄することのたとえ。 「于公」は人物名で、漢代に丞相になった于定国の父のこと。 于公は裁判官として公平に裁判を処理して、ひそかに善行を積んでいた。 彼の住む村の門を修理するときに、人知れず善行を積む家の子孫は出世して繁栄するだろうと、門を広大に作った故事から。
応報覿面(おうほうてきめん)
悪い行いの報いを受けること。 または、悪い行いの報いが正確に現れること。 「応報」は行いの善悪に応じた報い。 「覿面」はすぐに結果が正確に現れること。
恩讎分明(おんしゅうぶんめい)
恩とあだをはっきりと区別し、それぞれに必ず報いること。 「恩讎」は恩と讎(あだ)。 「分明」ははっきりと区別すること。 「恩讐分明」とも書く。
開門揖盗(かいもんゆうとう)
自分自身で原因を作って、災いを招き入れること。 「揖盗」は泥棒を会釈して招き入れること。 自宅の門を自ら開けて、会釈して泥棒を招き入れるという意味から。 「門(もん)を開いて盗(とう)に揖(ゆう)す」とも読む。
禍福無門(かふくむもん)
不幸も幸福も、その人自身が招くものであるということのたとえ。 不幸や幸福がやってくるための決まった入り口があるわけではなく、心がけ次第で不幸にも幸福にもなるということ。 「禍福門無し、唯人の招く所なり」を略した言葉。
玩人喪徳(がんじんそうとく)
人を見くびって軽く扱うと、自身の徳を失うことになるということ。 「玩人」は人を軽く見てもてあそぶこと。 「人を玩(もてあそ)べば徳を喪(うしな)う」とも読む。
向天吐唾(こうてんとだ)
他人に害を与えようとして、自分にその害が返ってくること。 天に唾を吐きかけようとして、自分の顔に落ちてくるという意味から。 「天に向かって唾を吐く」とも読み、この形で使うことが多い言葉。
業果法然(ごうかほうねん)
前世での行いの報いを、現世で受けるのは当然のことであるということ。 「業果」は前世の行いが招く報い、業因。 「法然」はありのままの姿で存在していること。
散善花綻(さんぜんかたん)
邪念があったとしても、善い行いをすればよい報いを受けられるということ。仏教の言葉。 「散善」はよこしまな心を持って行う善行。 「花綻」は花が咲き始めるという意味から、報いを受けることのたとえ。 「散善(さんぜん)花(はな)綻(ほころ)ぶ」とも読む。
失道寡助(しつどうかじょ)
道理にかなった正しい行いをしなければ、誰からの助けも受けることはないということ。 「道」は仁と義の道のこと。 「道を失えば助け寡(すく)なし」とも読む。
宿執開発(しゅくしゅうかいほつ)
前世で積んだ善い行いの結果が、現世に現れること。 「宿執」は前世からの心の善悪の性質。 「開発」は実際に存在したり、発生したりすること。
自業自得(じごうじとく)
自分が行ったことが自分に返ってくること。 悪い意味で使われることが多い。 自分の行動の善悪の業によって、苦楽の業を受けるという意味の仏教の因果の法則を表す言葉。
自作自受(じさくじじゅ)
自身の働いた悪事の結果、悪い報いを受けること。 「自作」は自身が行うということ。 自身の行動の結果を自信が受けるという意味から。
自縄自縛(じじょうじばく)
自身の縄で自身を縛るという意味から、自らの言動や心がけで身動きが出来なくなり苦しむこと。
積悪余殃(せきあくのよおう)
積み重ねた悪事の報いの災いが子孫にまで及ぶこと。 「積悪」はたくさん悪いことをすること。 「余殃」は悪事の報いが本人だけでなく、その子孫にまで及ぶこと。 「積悪の家には必ず余殃有り」という言葉を略した言葉。
積厚流光(せきこうりゅうこう)
蓄積したものが多ければ多いほど、その恩恵は大きいということ。 または、先祖の功績が大きければ、子孫にも恩恵が及ぶということ。 「積厚」は厚く積み重ねること。 「流光」は広く恩恵が及ぶこと。
積善余慶(せきぜんのよけい)
善い行いを何度も行った家は、子孫にもその恩恵があるということ。 「積善」は善い行いを積み重ねること。 「余慶」は子孫にも幸福が及ぶこと。 「積善の家には必ず余慶あり」を略した言葉。
善因善果(ぜんいんぜんか)
よい行動をすれば、よい報いがあるということ。 「善因」はよい報いを受ける原因となる行いのこと。 「善果」はよい報い。 仏教の言葉で、人の行動の善悪に応じた報いを受けることをいう。
濯纓濯足(たくえいたくそく)
世の中の流れに合わせて身の振り方を変えること。 または、善い行いをすれば尊ばれ、悪い行いをすれば蔑まれるということのたとえ。 または、世俗を超越すること。 「纓」は冠の紐。 水が綺麗なら冠の紐を洗い、水が汚れていれば足を洗うという意味から。
天罰覿面(てんばつてきめん)
悪い行いをすれば、必ず天から罰が下るということ。 「天罰」は天が下す罰のこと。 「覿面」は実際に目撃するということから、すぐに効果が現われるということ。
投桃報李(とうとうほうり)
仲の良い友人同士で、お互いに物を贈りあうこと。 または、自分が徳を施せば、必ず徳で報いるということ。 「李」は植物のスモモ。 桃を贈られれば、お返しにスモモを贈るという意味から。 「桃を投じて李(すもも)に報(むく)ゆ」とも読む。
悖出悖入(はいしゅつはいにゅう)
道理に反したことを言えば、道理に反した言葉が返ってくること。 または、道理に反した政治を行えば民衆から恨みの声が返ってくること。 「悖」はもとる、さからうという意味。 似ている四字熟語の「悖入悖出」は別の意味の言葉。
悖入悖出(はいにゅうはいしゅつ)
不当な行いで得た財産は、同じように不当な方法で出て行くということ。 徳にそむく行いをすれば、道理をはずれたやり方で罰を受けるという意味から。 「悖(もと)りて入(い)れば悖(もと)りて出(い)ず」とも読む。 似ている四字熟語の「悖出悖入」は別の意味の言葉。
貧窮福田(びんぐうふくでん)
貧しいものに施しをすれば、施しをしたものには求めずとも自然に良いことがあるということ。 「貧窮」は仏教の言葉で、供養することで福を得ることができるとされる、三つのものの一つ。 「福田」は福が生まれるとされるもののこと。
福善禍淫(ふくぜんかいん)
善人には良いことが起きて、悪人には悪いことが起きるということ。 天は善人に幸福を与え、悪人には災いを与えるという意味から。 「善に福(さいわい)し淫(いん)に禍(わざわい)す」とも読む。
報本反始(ほうほんはんし)
天地や祖先の恩に感謝して恩返しをすること。 「本」と「始」は物事の一番初めのもの。 「報」と「反」はふさわしい恩返しをすること。 自分自身が存在するに至った根源の全てのものに報いようとする気持ちをいう言葉。 「本(もと)に報い始めに反る」とも読む。
輪廻応報(りんねおうほう)
輪廻を繰り返すなかで、自分の行いに対する報いを受けること。 「輪廻」は車輪が回り続けるように、生と死を繰り返すということ。 「応報」は行動の善悪に応じた報いを受けること。 思いがけないことや、不条理な出来事も前世の行動による報いであるという考えのこと。 「輪回応報」とも書く。