天孫降臨について

四字熟語 | 天孫降臨 |
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読み方 | てんそんこうりん |
意味 | 古事記と日本書紀の神話の中で、天照大神から国家平定の命を受けた天照大神の孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊が、天上の高天原から日向国の高千穂に天下ったこと。 「天孫」は天津彦彦火瓊瓊杵尊のことで、天照大神の子孫という意味から。 「降臨」は神が天界から地上に降りること。 |
出典 | 『日本書紀』「神代紀」 |
使用されている漢字
「天」を含む四字熟語
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
皇位継承の証として、天皇が代々受け継いできた三種の神器の一つ。 草薙剣や草那芸之大刀とも呼ばれ、スサノオノミコトが八岐大蛇を倒したときに尾から出てきたとされている。 現在は、熱田神宮で神体として祭られている。
意気衝天(いきしょうてん)
気力が天を衝くほど高く充実している様子。 「意気」は気力や気概、「衝天」は天を衝くほど高いという意味。
韋駄天走(いだてんばしり)
極めて足の速い人。 また、速く走る様子。 「韋駄天」は僧や寺院の守護神で、足が速いことのたとえ。
一念通天(いちねんつうてん)
どんなことでも、一心に念じ努力し続ければ、必ず成就するということ。 「一念天に通ず」とも読む。
一天四海(いってんしかい)
全世界。 「一天」は天の下全てということから、全世界のこと。 「四海」は四方向全ての海ということから、全世界のこと。
一天万乗(いってんばんじょう)
天子や天皇のこと。 「一天」は天の下全てということから、全世界のこと。 「乗」は兵車のことや、兵車を数える場合に使う単位。 一万乗の兵車を出すことが出来る国の君主という意味から。 古代中国では、兵車一台に馬四頭と兵士百人がついていたとされている。 「一天万乗の君」を略した言葉。
「孫」を含む四字熟語
含飴弄孫(がんいろうそん)
年老いて仕事を止めた後の気楽な生活のこと。 飴を食べながら孫と遊ぶという意味から。 「飴を含んで孫を弄ぶ」とも読む。
公孫布被(こうそんふひ)
高い地位があるが、質素な生活をすること。 または、うわべだけの節約のこと。 「布被」は麻や木綿のつつましい掛け布団のこと。 売名のために、わざとらしく質素な生活を見せ付けることをいう。 中国の前漢の高官の公孫弘は、臣下は節約すべきといい、麻の布団で寝て、質素な食事をしていたが、汲黯が偽善的だと言ったという故事から。
胡孫入袋(こそんにゅうたい)
民間にいた人が、公職についたために自由が無くなること。 または、物事を自由に行えないこと。 「胡孫」は動物の猿の別称。 猿が袋の中に入れられるという意味から。 「胡孫袋に入る」とも読む。
子子孫孫(ししそんそん)
「子孫」を重ねて強調した語で、子孫が続く限り、末代までという意味。
車蛍孫雪(しゃけいそんせつ)
苦学のたとえ。 「車」「孫」はどちらも苦学していた人物の名前。 「車」は車胤のことで、夜に蛍の光で読書をしていた。 「孫」は孫康のことで、夜に雪に反射した月明かりで読書をしていた。
孫康映雪(そんこうえいせつ)
苦労しながらも学問に励むこと。 「孫康」は中国の人の名前。 「映雪」は夜の雪明りで書物を読むこと。 中国の晋の時代、孫康は灯り用の油を買うことが出来ないほど貧しく、夜は雪明りで読書をして勉強したという故事から。
「降」を含む四字熟語
降志辱身(こうしじょくしん)
境遇に慣れて目標を下げたために、人格を汚してしまうこと。 または、世間に合わせて態度を変えること。 「志を降し身を辱む」とも読む。
鄒衍降霜(すうえんこうそう)
天に無実を訴えて、真夏に霜を降らせたという鄒衍の故事のこと。 中国の戦国時代の五行説を唱えた思想家の鄒衍は、無実の罪で投獄されたときに、天に無実を訴えると、天はそれに応えて真夏に霜を降らせたという故事。
天孫降臨(てんそんこうりん)
「臨」を含む四字熟語
枉駕来臨(おうがらいりん)
訪問を歓迎する敬語表現。 「枉駕」は進路を変えてわざわざ立ち寄ること。 「来臨」は来客があることの敬語表現。 ”わざわざお越しいただきまして”という意味。
細心臨摸(さいしんりんも)
隅々まで気を配って、手本の通りに写すこと。 「細心」は細かい部分まで気を配ること。 「臨」と「摸」は手本を見て、その通りに真似をすること。 「細心臨模」とも書く。
臨淵羨魚(りんえんせんぎょ)
願いを叶えるためには、望むだけではなく、そのためには適切な手段や方法を考えて行わなければならないということ。 水辺で魚が欲しいと思うだけではなく、そのためには家に帰って網を編んだほうがよいという意味から。
臨機応変(りんきおうへん)
状況の変化に応じて対処する方法を適切にかえること。 「臨機」は時と場合に応じて適切な手段をとること。 「応変」は変化に応じて対処すること。
臨終正念(りんじゅうしょうねん)
死に臨む時も心を乱さずに、心を穏やかに保つこと。 仏教の言葉で、心静かに念仏を唱え、極楽往生を願いながら死んでいくことをいう。 「臨終」は死ぬ直前のこと。 「正念」は心を正しい状態に保つこと。
臨池学書(りんちがくしょ)
懸命に文字を書く練習をすること。 「臨池」は池の近くのこと。または、書道のこと。 中国の後漢の書家の張芝は、池のほとりで文字を書く練習に励み、池が墨で黒くなったという故事から。 「池に臨みて書を学ぶ」とも読む。