「清」を含む四字熟語
「清」を含む四字熟語 — 42 件
河清難俟(かせいなんし)
待つことが不可能であること。または、待っても実現の見込みがないこと。 「河」は中国の川の黄河のこと。 「俟」は待つこと。 黄河の水は常に濁っているが、千年に一度だけ澄むといわれており、それを待とうとすることから。 「河清(かせい)俟(ま)ち難(がた)し」とも読む。
激濁揚清(げきだくようせい)
悪を取り除き、善を勧めること。 「濁」は濁った流れことで、悪のたとえ。 「清」は清らかな水のことで、善のたとえ。 悪を激流に流して、善を上に押し上げるという意味から。 「濁(だく)を激(げき)して清(せい)を揚(あ)ぐ」とも読む。 「揚清激濁」ともいう。
月白風清(げっぱくふうせい)
月明りの美しい秋の静かな夜の風情。 「月白」は白く美しく輝く月。 「風清」は涼しくさっぱりとした秋の風。 「月白(つきしろ)く風清(かぜきよ)し」とも読む。 「風清月白」ともいう。
源清流清(げんせいりゅうせい)
君主が善であれば、民も善になることのたとえ。 水源の水が清ければ川の下流も清いという意味から。 「源(みなもと)清ければ流れ清し」とも読む。
黄河水清(こうがすいせい)
この上なく珍しいこと。 常に濁っている黄河の川の水が澄むことから。 大きな変化の予兆とされ、特に聖人が現れる兆しとされる。 「黄河、水(みず)澄む」とも読む。
刻露清秀(こくろせいしゅう)
さっぱりとしていて、すがすがしい秋の景色のこと。 「刻露」は秋になって、木の葉が落ちて、山の姿がはっきりと現れること。 「清秀」は空気が澄んでいて、眺めがよいこと。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
紫電清霜(しでんせいそう)
容姿がすぐれていて意志が固い人のたとえ。 「紫電」は紫色の光やいなずまなどの美しい光のたとえ。 「清霜」は清く引き締まったもののたとえ。
清浄潔白(しょうじょうけっぱく)
行動や心が清らかで、うしろめたいことがないこと。 「清浄」は汚れがなく、清らかなこと。 「潔白」は清らかで後ろめたいことがないこと。
清浄寂滅(しょうじょうじゃくめつ)
道家と仏家の教え。 「清浄」は清浄無為という道家の老子の教え。 「寂滅」は寂滅為楽という仏家の教え。
笑比河清(しょうひかせい)
厳しい性格で、笑顔を見せることがほとんどないこと。 「河清」は黄河の水が澄き透ること。 今までに澄き通ったことのない黄河の水が透き通るくらいに、笑顔を見せることがないという意味から。 中国の北宋の時代の裁判官の包拯がほとんど笑うことがなかったことを、人々にたとえられたという故事から。 「笑いを河清(かせい)に比(ひ)す」とも読む。
純潔清浄(じゅんけつしょうじょう)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「清浄」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
水清無魚(すいせいむぎょ)
心が清く高潔であっても、程度が過ぎると人に親しまれないということ。 「水清ければ魚無し」とも読み、澄み切った水には魚が住めないという意味から。
清音幽韻(せいおんゆういん)
他のものよりも優れている文章のたとえ。 「清音」は濁りがなく澄んでいる音声。 「幽韻」は言葉にできないほど奥深い味わいがあること。 北宋の王安石が欧陽脩の文を評価した時の言葉。
清光素色(せいこうそしょく)
月の澄んだ白い光のこと。 「清光」は清らかな光ということから、月の光のこと。 「素色」は白い色。 夜に月が美しく輝いていることをいう言葉。
清光溶溶(せいこうようよう)
水が広がるように、月の澄んだ光が周囲を照らしている様子。 「清光」は月の澄んだ光。 「溶溶」は水がゆっくり流れる様子。
清浄無垢(せいじょうむく)
汚れのない清らかな様子。 仏教では、煩悩がなく澄んでいる心のこと。 「無垢」は汚れのないという意味。 「清浄」は「しょうじょう」とも読む。 「無垢清浄」ともいう。
清聖濁賢(せいせいだくけん)
酒の異名。 「聖」は聖人、「賢」は賢者のことで、曹操が禁酒令を出したときに、清酒のことを聖人とよび、濁り酒のことを賢人とよんで、見つからないように飲んでいたという故事から。
清絶高妙(せいぜつこうみょう)
汚れが無く、すぐれている様子。 「清絶」はこの上なく清らかなこと。 「高妙」はすぐれていて立派なこと。
清絶幽絶(せいぜつゆうぜつ)
人里から離れて暮らし、とても清らかで静かな様子。 「清絶」は非常に清らかなこと。 「幽絶」は静かで、人里から遠く離れていること。または、そのような場所のこと。
清窓浄机(せいそうじょうき)
明るくて綺麗で集中して勉強できる書斎のこと。 明るい日の光が入る窓と塵一つ無い清潔に保たれている机という意味から。
清淡寡慾(せいたんかよく)
物事に執着せず、清らかで無欲な様子。 「清淡」は清らかで、無欲なこと。 「寡慾」は欲望が少ないこと。 「清淡寡欲」とも書く。
清淡虚無(せいたんきょむ)
静かで落ち着いて、わだかまりなどがなにもなく、欲の少ない心。 「清淡」は心が清らかでさっぱりしていること。 「虚無」は何もない状態ということから、物欲がないという意味。
清濁併呑(せいだくへいどん)
善も悪も全て受け入れること。 人としての器が大きく、どんなことでも受け入れること。 「清濁」は清らかなものと濁っているもののことで、善と悪や、賢者と愚者などのたとえ。 清らかなものも濁っているものも全てを飲み込むという意味から。 「清濁併せ呑む」という形で用いることが多い言葉。
清風故人(せいふうこじん)
季節が秋に変わって、秋のさわやかな風が吹いてくるのは、昔からの友人が久しぶり訪ねてきたかのようだということ。 「故人」は昔からの友人。 「清風故人来る」を略した言葉。
清風明月(せいふうめいげつ)
明るく澄んだ月とすがすがしい風が心地よい静かな夜の様子。 または、風雅な遊びや自然を堪能すること。 「清風」はすがすがしい風のこと。 「明月」は明るく澄んだ月のこと。
清籟蕭蕭(せいらいしょうしょう)
清らかで寂しい感じのする音声を言い表す言葉。 「清籟」は清らかな音声。 「蕭蕭」は寂しい感じのする音声。 雨風や馬の高い鳴き声、落ち葉などの物寂しい音声を言い表す言葉。
清廉潔白(せいれんけっぱく)
心が清らかで、良心に恥じるようなことがまったくないこと。 「清廉」は清く正しいこと。 「潔白」は心や行いにやましいことや汚れがないこと。
雪裏清香(せつりせいこう)
植物の梅の別名。 「雪裏」は雪の中という意味。 雪がある時期はほとんど花は咲いていないが、梅は雪が残っている時期から花を咲かせて、清らかな香りを漂わせるという意味から。
適怨清和(てきえんせいわ)
恨めしいほどに素晴らしく、清らかで整っていること。 「適怨」はこの上なく素晴らしいために、恨めしい気持ちが生まれること。 「清和」は清らかで整っていること。
天高気清(てんこうきせい)
秋の空が高く、すっきりと晴れ渡っていて、空気がさっぱりとしていること。 「天高」は秋の空が晴れ渡っていて高いこと。 「気清」はさっぱりとしていて心地よい空気のこと。 「天高く気清し」とも読む。
冬温夏清(とうおんかせい)
親孝行をすることのたとえ。 冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるように環境に配慮することから。 「冬温夏清」とも書く。
内清外濁(ないせいがいだく)
心は清潔さを保ちながら、外見は汚れたように装い、世俗とうまく付き合う処世術のこと。
伯夷之清(はくいのせい)
清らかで気高い人のたとえ。 「伯夷」は人の名前。 古代中国の殷の人物で、君主と臣下が義を大切にし、王朝が交代するときには節操を守り、新しい王朝に仕えなかったことから、清廉の極みとされている。
百年河清(ひゃくねんかせい)
期待できないことをいつまでも待ち続けること。 または、いつまで待っても望みは叶わないということ。 「百年」は長い年月ということ。 「河」は中国の黄河のこと。 黄河の水はいつまでも待っても、澄んだ水になることはないという意味から。 「百年河清を待つ」を略した言葉。
氷清玉潤(ひょうせいぎょくじゅん)
父親と娘婿の二人ともが高い徳を備えていることのたとえ。または、清く気高い人格のたとえ。 氷のように清らかで、宝石のように潤いがあるという意味から。 中国の晋の楽広は、身も心も清らかな人柄と評されていたが、その娘婿の衛カイも清らかで潤いがあると評され、楽広は氷清と呼ばれ、衛カイは玉潤と呼ばれ、賞賛されたという故事から。
眉目清秀(びもくせいしゅう)
顔のつくりが美しく整っている様子。 主に男性に対して使う言葉。 「眉目」は眉と目のことで、顔のつくりという意味。 「清秀」は他よりも優れていて、美しく整っている様子。
風清弊絶(ふうせいへいぜつ)
しきたりや慣わしが改まり、悪行や弊害がなくなること。 「風清」は風習がよくなること。 「弊絶」は悪行や弊害がなくなること。 「弊絶風清」ともいう。
明月清樽(めいげつせいそん)
美しい月と高級な酒のこと。 「明月」は明るく輝いている美しい月。 「清樽」は美しく清らかな樽ということから、清酒のたとえ。
冷艶清美(れいえんせいび)
冷ややかで清く美しい様子。 「冷艶」は白い花や雪のように冷ややかで美しい様子。
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
欲望や迷いを断ち切り、心と体を清らかにすること。 「六根」は仏教で煩悩や迷いなどの元になるとされる六つの器官のことで、眼・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。 「清浄」は煩悩や迷いなどを捨てて、汚れがなく清らかなこと。 山参りなどで修行者が山に登るときに唱えていた言葉。 「六根浄」と略して用いられることもあり、それが変化したものが「どっこいしょ」という掛け声の語源ともいわれている。
和敬清寂(わけいせいじゃく)
茶道で主人と客が心を和らげて互いに敬い、茶室や茶器や雰囲気などを清らかで静かに保つこと。 「和敬」は主人と客が互いに心を和らげ敬うこと。 「清寂」は清らかで静かに保つこと。 千利休の茶道の精神を象徴する言葉。
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