「さ」から始まる四字熟語
「さ」から始まる四字熟語 — 189 件
三段論法(さんだんろんぽう)
論理的推論の形式の一つ。 大前提と小前提から結論を導き出す法則をいう。
山中暦日(さんちゅうれきじつ)
人里から離れて、山奥でのんびりと暮らすこと。 「暦日」は月日のこと。 「山中暦日無し」を略した言葉で、人里離れた山奥で暮らすと、ゆったりとしていて、月日がたつのを忘れてしまうという意味から。
三鳥出網(さんちょうしゅつもう)
三つの悟りに至るための修行や方法がそれぞれ異なっていることのたとえ。 「三鳥」は、仏教の三乗のたとえ。三乗は、悟りを得るための三つの修行や方法である声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)のこと。 三乗によって悟りを得ることを、三羽の鳥が網から外へ出ることにたとえた言葉。 「三鳥(さんちょう)網(あみ)を出(い)ず」とも読む。
参天弐地(さんてんじち)
天や地のように大きな徳を積むこと。 「参天」は天と並ぶこと。 「弐地」は地と並ぶこと。 「天(てん)に参じ地に弐(じ)す」とも読む。
山濤識量(さんとうしきりょう)
すぐれた判断力や考え、器量をもっている人のこと。 「山濤」は人の名前。 「識量」は知識や器量のこと。 竹林の七賢と呼ばれる賢者の一人である、山濤のようにすぐれた知識と器量があるということから。
三頭両緒(さんとうりょうしょ)
物事が複雑で、まとめて治めることができないことのたとえ。 または、物事の始まりが多いことのたとえ。 「頭」と「緒」はどちらも物事の始めということ。
三人成虎(さんにんせいこ)
真実ではないことでも、多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるということのたとえ。 「街に虎が出たと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答えた。 「それならばもう一人別の人物が同じこと言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるようになるだろう」と答えたという故事から。
三人文殊(さんにんもんじゅ)
平凡な人でも、三人で知恵を出し合えば何かよい考えが出るものだということ。 「文殊」は知恵をつかさどるとされるという文殊菩薩のこと。 普通な人でも三人で考えを出し合えば、文殊菩薩と同等以上の考えが浮かぶという意味から。 「三人寄れば文殊の知恵」を略した言葉。 「三人文珠」とも書く。
三拝九拝(さんぱいきゅうはい)
何度も頭を下げて、頼みごとをしたり、敬意や謝罪の意志を表したりすること。 手紙の最後に記して、相手に敬意を表す言葉として用いることもある。 「三拝」は敬意を持って三回拝むこと。仏教では身業、口業、意業の三業に敬意を表すこと。 「九拝」は敬意を持って九回拝むこと。または、古代中国で定められた九種類の礼拝のこと。
賛拝不名(さんぱいふめい)
天子に上奏する時に、自分の名前を言わなくてよいこと。 天子が功績のある臣下に与えた特権の一つ。 「賛拝(さんぱい)するに名(な)いわず」とも読む。
三百代言(さんびゃくだいげん)
根拠のない適当な話で人を騙すこと。 または、そのような人のこと。 「三百」は昔の小さな通貨の三百文ということから、非常に価値が低いことのたとえ。 「代言」は代言人のことで、弁護士の昔の名称。 資格を持っていない人が、他人の訴訟を取り扱ったことを罵っていった言葉から。
賛否両論(さんぴりょうろん)
賛成と反対の両方の意見。 意見が反対の者同士が向かい合っていて、結論が出ない状況をいう。
散文精神(さんぶんせいしん)
小説を書くときの精神のありかたで、浪漫的・詩的感覚を排除して、実際におこったことを冷静に捉えて、客観的に見つめようとするもの。 昭和十一年に小説家の武田麟太郎が主張したもの。
三分鼎足(さんぶんていそく)
力が同じものが三人並び立つこと。 または、同じ力を持つ勢力が並び立つこと。 三人が並び立つことを「鼎」にたとえた言葉。 「鼎」は食べ物を煮たり、祭器として使われる三本足の器。
三釜之養(さんぷのよう)
少ない給料の中でも両親を養い、親孝行すること。 「釜」は中国の春秋時代の容量の単位で、約十二リットルで、「三釜」で約三十七リットル。 三釜という少ない給料で両親を養うという意味から。 中国の春秋時代、孔子の弟子の曾子は、三釜の少ない給料でも両親を養えるのは幸せだったが、給料が高くなるころには両親は亡くなっていたという故事から。
三平二満(さんぺいじまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
三木一草(さんぼくいっそう)
後醍醐(ごたいご)天皇の建武政権下で功績を上げ、重用された四人の臣下の総称。 「三木」は、名前に「き」の付く三人。結城親光(ゆうきちかみつ)、名和長年(なわながとし)の役職、伯耆守(ほうきのかみ)、楠木正成(くすのきまさしげ)のこと。 「一草」は、名前に「くさ」の付く一人。千種忠顕(ちぐさただあき)のこと。
三位一体(さんみいったい)
1.キリスト教で、父である神と子であるイエス・キリストと聖霊の三つは、唯一の神がそれぞれ姿を変えたもので、元は一つのものだとする教義のこと。
2.それぞれ異なる三つのものが、根本的な性質や要素は同一であること。
3.三つのものがしっかりと結びついて、一つのもののようになること。または、三人が心を一つにして物事にあたること。
三密瑜伽(さんみつゆが)
密教の修行。 「三密」は身密、口密、意密の三つの行のこと。 「瑜伽」は修行者の三密と仏の三密が、互いに交じり溶け合うこと。 「瑜伽三密」ともいう。
算無遺策(さんむいさく)
策略が全てうまくいくこと。 「算」は結果を予測して考えること。 「遺策」は駄目な部分のある策略。 「算(さん)に遺策(いさく)無(な)し」とも読む。
三面六臂(さんめんろっぴ)
一人で数人分の成果をあげること。 または、様々な違う分野で活躍すること。 「臂」は腕のこと。 三つの顔と、六本の腕がある仏像の姿を言い表す言葉。
山容水態(さんようすいたい)
山や川などの美しい自然の風景のこと。 「容」と「態」は姿や、様子という意味。
三浴三薫(さんよくさんくん)
相手のことを大切に思う心を言い表す言葉。 人を待つ間に何度も体を洗って、良い香りの香を塗るという意味から。 「三」は何度も、という意味。 「浴」は湯水で体を洗い清めること。 「薫」は香を塗ること。
山溜穿石(さんりゅうせんせき)
小さな努力を重ねていけば、どんなことも成し遂げることができることのたとえ。 「山溜」は山から滴り出る水。 山から滴り出る水が、長い時間をかけて岩石に穴をあけるという意味から。 「山溜(さんりゅう)、石(いし)を穿(うが)つ」とも読む。 「山霤穿石」とも書く。
三輪空寂(さんりんくうじゃく)
人に物をあげたり、お布施をするときは、渡す物への執着はやめるべきということ。 「三輪」はお布施をする人、施しを受ける人、施す物の三つのこと。 「空寂」はこの世の全てのものは実体がなく、空であるということ。 「三輪」の三つの全てが空であるとして、執着心を捨て去ることをいう。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。 または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。 「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。 「清浄」は汚れがなく清らかなこと。
山礪河帯(さんれいかたい)
永久に変わらないかたい誓約のこと。 または、国が平和で栄え続けること。 「山」は泰山、「礪」は砥石、「河」は黄河のことで、広い黄河が帯のように細くなっても、高い泰山がすりへって砥石のように平になっても、長く変わることがないという意味から。
三令五申(さんれいごしん)
何度も繰り返して説明して諭すこと。 「申」は繰り返すという意味。 三回命じて五回言い聞かせるという意味から。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。