「満足」に関連する四字熟語一覧
「満足」に関連する四字熟語の一覧です。
晏子之御(あんしのぎょ)
他人の権威を笠にきておごり、自らの低い地位に満足している愚か者のたとえ。 「晏子」は斉の宰相、晏嬰のこと。 「御」は御者のこと。 晏嬰の御者は、晏嬰を乗せたことで得意気になっていたが、その姿を見た御者の妻は離縁を迫ると、御者は改心したという故事から。
安常処順(あんじょうしょじゅん)
何の心配事もない、平和で穏やかな生活に満足して暮らすこと。 または、平和な生活に慣れて、何の問題もない環境にあること。 「常に安んじて順に処(お)る」とも読む。
安分守己(あんぶんしゅき)
身の程をわきまえて、高望みをしないこと。 「安分」は身の程をわきまえること。 「守己」は自分の状態を維持すること。
安楽浄土(あんらくじょうど)
仏教において、阿弥陀仏がいるという安楽の世界。 また、すべてが満たされていることのたとえ。
怡然自得(いぜんじとく)
心が落ち着いていて、満ち足りていること。 または、自分の心を理解し、喜び安らぐこと。 「怡然」は喜び楽しむ様子のこと。または、悩むことなく道理を理解する様子のこと。 「自得」は現在の自分に満足すること。または、自身の心の内側を自身で理解すること。 「怡然として自得す」とも訓読する。
一飲一啄(いちいんいったく)
自然とともに、自由に生きることのたとえ。 または、人が分を弁えて、多くを求めないことのたとえ。 「一」はわずか、すこしの意。 「啄」は鳥がくちばしでついばむこと。
飲河之願(いんかのねがい)
自分の身の丈に合った欲望で満足するべきであるということ。 中国古代の伝説の聖天子尭帝が、許由に天下を譲ろうとすると、動物のもぐらは大きな黄河の水を飲んでも、満腹になればそれ以上は飲まないといって断ったという故事から。
飲河満腹(いんかまんぷく)
自分の身の丈に合った欲望で満足するべきであるということ。 中国古代の伝説の聖天子尭帝が、許由に天下を譲ろうとすると、動物のもぐらは大きな黄河の水を飲んでも、満腹になればそれ以上は飲まないといって断ったという故事から。 「偃鼠河に飲むも満腹に過ぎず」を略した言葉。
鼓腹撃壌(こふくげきじょう)
善い政治が行われ、人民が平和で不満のない生活を楽しむ様子。または、世の中が平和なことのたとえ。 「鼓腹」は食べるものが十分にあり、満腹になった腹を楽器のように打ち鳴らすこと。 「壌」は土や地面のことで、「撃壌」は地面をたたいて拍子をとること。 古代中国の聖天使尭帝は、世の中がうまく治まっているか気になり町の様子を見に行った。 そこで、一人の老人が満腹になった腹を打ち鳴らし、地面を踏んで拍子をとりながら「世の中は平和で天子はいてもいなくても変わらない」という意味の歌を歌っていた。 それを聞いた尭帝は、人民が政治を行うものの力を意識することなく、満ち足りた生活が出来ていることが分かり安心したという故事から。 「撃壌鼓腹」ともいう。
三平二満(さんぺいじまん)
十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること。 「三」と「二」は数が少ないことのたとえ。 三でも安らかで、二でも満足するという意味から。 または、「三」は額と鼻、下顎のことをいい、「二」は左右の頬をいい、「三」が平らで「二」が膨らんでいるような顔ということから、おかめ顔やおたふく顔のことをいう。
逍遥自得(しょうようじとく)
思うままに暮らして満ち足りていること。 「逍遥」は好きなようにぶらぶらすることから、気ままな暮らしを送ること。
少欲知足(しょうよくちそく)
すこしのもので満足すること。 「少欲」は持っていないものをたくさん求めないこと。 「知足」は足るを知るという意味で、持っているもので満足すること。 「欲少なくして足るを知る」とも読む。
心満意足(しんまんいそく)
この上なく満たされた気持ちになること。 「心満」と「意足」はどちらも心が満たされるという意味。 「心(こころ)満ち意(い)足る」とも読む。
自己満足(じこまんぞく)
自身の言動に対して、自身で不満なく満たされた気持ちになること。 「満足」は望んだとおりに事が進んで、満たされた気持ちになること。 否定的な意味で使われることが多い言葉で、他人から見れば満足する水準に届いていなくても、自身が満足することをいう。
巣林一枝(そうりんいっし)
分相応の暮らしに満足すること。 「巣林」は林に巣を作ること。 「一枝」は一本の枝のこと。 鳥は林の中にある木の一本の枝だけを使って巣を作ることから。 「一枝巣林」ともいう。
知足安分(ちそくあんぶん)
多くのことを望まず、自分の立場や境遇に満足すること。 「足るを知り分(ぶん)に安(やす)んず」とも読む。
福徳円満(ふくとくえんまん)
様々なものに恵まれていて、何一つ不満がないこと。 「福徳」は幸福と財産があって、不自由しないこと。