「ほん」から始まる四字熟語
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賁育之勇(ほんいくのゆう)
気力と勇気に満ち溢れている様子。 「賁」と「育」はどちらも人の名前で、孟賁と夏育のこと。 孟賁と夏育はどちらも中国の秦の武王に仕え、二人とも怪力で勇気があることで有名。
奔逸絶塵(ほんいつぜつじん)
非常に速く走ること。 「奔逸」は走って逃げること。 「絶塵」は塵を一つも立てないほど速く走ること。 「奔佚絶塵」とも書く。
奔佚絶塵(ほんいつぜつじん)
非常に速く走ること。 「奔逸」は走って逃げること。 「絶塵」は塵を一つも立てないほど速く走ること。 「奔佚絶塵」とも書く。
翻雲覆雨(ほんうんふくう)
人の心や、世間の人たちの考えは変わりやすいということ。 「翻」は手のひらを上に向けること。 「覆」は手のひらを下に向けること。 手のひらを上に向ければ雲が発生して、手のひらを返せば雨に変わるという意味から、ほんの少しの時間で状況が全く別のものになるということ。 「手を翻せば雲と作り手を覆せば雨」を略した言葉。 「覆雨翻雲」ともいう。
本覚大悟(ほんがくたいご)
心の迷いから抜け出して、仏の性質を理解すること。 「本覚」は人間が生まれながらにして持っている仏性の悟り。 「大悟」は煩悩を捨て去り、悟りを開くこと。
本覚大悟(ほんがくだいご)
心の迷いから抜け出して、仏の性質を理解すること。 「本覚」は人間が生まれながらにして持っている仏性の悟り。 「大悟」は煩悩を捨て去り、悟りを開くこと。
本家本元(ほんけほんもと)
正しい系統や血筋の大本のこと。 「本家」と「本元」はどちらも一番の大本という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
奔車朽索(ほんしゃきゅうさく)
非常に危険な状態のたとえ。 「奔車」はどうなるか考えずに、速度を出した車。 「朽索」は腐ってぼろぼろになった縄。 どちらも危険な状態をいう言葉で、他人に注意を促すときにも使われる言葉。
本地垂迹(ほんじすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
翻邪帰正(ほんじゃきしょう)
悪い心を改め正して、正しい道に戻ること。 仏教の言葉で、「邪(じゃ)を翻(ひるがえ)し正に帰(き)す」とも読む。
翻邪帰正(ほんじゃきせい)
悪い心を改め正して、正しい道に戻ること。 仏教の言葉で、「邪(じゃ)を翻(ひるがえ)し正に帰(き)す」とも読む。
本地垂迹(ほんちすいしゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
本地垂迹(ほんちすいじゃく)
仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。
翻天覆地(ほんてんふくち)
激しく変化すること。または、社会の秩序が乱れること。 「翻」と「覆」はどちらもひっくりかえるという意味で、天地が逆になることから。 「天を翻(ひるがえ)し地を覆(くつがえ)す」とも読む。 「覆地翻天」ともいう。
奔南狩北(ほんなんしゅほく)
天子が災難に巻き込まれないように、北へ南へと逃れること。 「奔」は逃げること。 天子が災難を避けるために逃げることをはばかって、逃げるではなく狩りに行くと言っていたということから。
奔放自由(ほんぽうじゆう)
周りのことを気にすることなく、自分が思ったことそのままに行動する様子。または、規範や世間の常識にとらわれることなく、思いのままに物事を行うこと。 「自由」は他を気にすることなく、思ったことをそのまま行うこと。 「奔放」は常識などに縛られることなく、思うままに行動すること。 「奔放自由」ともいう。
奔放不羈(ほんぽうふき)
誰にも縛られることなく、好き勝手に振る舞うこと。 「羈」はつなぐという意味から「不羈」は何ものにも縛られないこと。 「奔放不羈」ともいう。
本末転倒(ほんまつてんとう)
物事の重要な部分とそうでない部分を逆に捉えてしまうこと。 「本末」の「本」は大事なこと、「末」は取るに足らないこと。 「転倒」は逆さにすること。
本来面目(ほんらいのめんぼく)
人が本来もっている、人としての心の本質のこと。 「本来」は初めからの状態のこと。 「面目」は姿形、容姿のこと。 禅宗の言葉。
本来面目(ほんらいのめんもく)
人が本来もっている、人としての心の本質のこと。 「本来」は初めからの状態のこと。 「面目」は姿形、容姿のこと。 禅宗の言葉。
本領安堵(ほんりょうあんど)
忠誠を誓った武士に対して、幕府や領主が領地の所有権を認めて保障したこと。 「本領」は先祖から受け継いだ領地。 「安堵」は所有権を認めるという意味。