「えん」から始まる四字熟語
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宴安酖毒(えんあんちんどく)
遊んで楽しむだけの生活を送ることへの戒め。 「宴安」はひたすら遊んで楽しむこと。 「酖毒」は鴆(ちん)という鳥の羽にある猛毒のこと。 ただ遊んで楽しむだけの生活を送ることは酖毒を飲むようなもので、最後には身を滅ぼしてしまうという意味から。 「宴安鴆毒」とも書く。
宴安鴆毒(えんあんちんどく)
遊んで楽しむだけの生活を送ることへの戒め。 「宴安」はひたすら遊んで楽しむこと。 「酖毒」は鴆(ちん)という鳥の羽にある猛毒のこと。 ただ遊んで楽しむだけの生活を送ることは酖毒を飲むようなもので、最後には身を滅ぼしてしまうという意味から。 「宴安鴆毒」とも書く。
烟雲過眼(えんうんかがん)
必要以上に物事に執着しないこと。 または、欲がなく、物事にこだわらないことのたとえ。 「烟雲」は煙と雲。または、霞(かすみ)と雲のこと。 「過眼」は目の前を通過すること。 煙、霞、雲などは目の前で留まることがなく、通り過ぎていくという意味から。 「煙雲過眼」とも書く。
煙雲過眼(えんうんかがん)
必要以上に物事に執着しないこと。 または、欲がなく、物事にこだわらないことのたとえ。 「烟雲」は煙と雲。または、霞(かすみ)と雲のこと。 「過眼」は目の前を通過すること。 煙、霞、雲などは目の前で留まることがなく、通り過ぎていくという意味から。 「煙雲過眼」とも書く。
蜿蜿長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
蜿蜒長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
蜒蜒長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
蜿々長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
蜒々長蛇(えんえんちょうだ)
行列などが長くうねるように続いていること。 「蜿蜿」は蛇や竜などが体をうねらせながら進む様子。 「長蛇」は長い蛇のことから、長い列のたとえ。 「蜿蜿」は「蜿蜒」、「蜒蜒」とも書く。
煙炎漲天(えんえんちょうてん)
火の勢いが激しい様子。 空を覆うように煙と炎が広がっていることから。 「煙炎、天に漲(みなぎ)る」とも読む。
鴛鴦之契(えんおうのちぎり)
夫婦の絆が非常に堅いこと。 または、いつまでも夫婦として仲良く暮らすという夫婦の約束のこと。 「鴛鴦」は雄と雌のおしどりのことで、雌雄が常に一緒にいる鳥ということから、夫婦の仲がよいことのたとえ。
円滑洒脱(えんかつしゃだつ)
角を立てることなく、物事を順調に処理すること。 「円滑」は、物事が滞りなく進むこと。 「洒脱」は、さっぱりとしていること。
煙霞痼疾(えんかのこしつ)
自然を愛する気持ちが非常に強いこと。 または、隠居して自然と親しみながら生活すること。 「烟霞」はもやと霞のこと。転じて自然の景色。 「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病。持病。 自然の風景を愛好する習性を病にたとえた言葉。 「煙霞痼疾」とも書く。
烟霞痼疾(えんかのこしつ)
自然を愛する気持ちが非常に強いこと。 または、隠居して自然と親しみながら生活すること。 「烟霞」はもやと霞のこと。転じて自然の景色。 「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病。持病。 自然の風景を愛好する習性を病にたとえた言葉。 「煙霞痼疾」とも書く。
轅下之駒(えんかのこま)
能力が足りないために、仕事を片付けられないこと。 または、人から束縛されて、自由にできないこと。 「轅」は馬車や牛車の舵棒、ながえのこと。 「駒」は二歳の若い馬。 まだ力の足りない若い馬を馬車につなぐという意味から。
冤家路窄(えんかろさく)
会いたくない人にだけよく出会うことのたとえ。 または、次から次へと悪い出来事が起きることのたとえ。 「冤家」は仇の家。 「路窄」は道幅の狭い道。 仇同士が狭い道で出会うと逃げることは出来ないという意味から。 「冤家(えんか)、路(みち)窄(せま)し」とも読む。
燕頷虎頸(えんがんこけい)
武勇に秀でた、勇ましい武者の容姿のたとえ。 または、遠い国の諸侯となる人の容姿のたとえ。 燕のような顎と、虎のように太い首のことで、武勇に秀でた人物の骨相をいう。 中国の後漢の班超は筆書の仕事をしていたが、武功を上げたいと占い師に聞くと、遠い地域で諸侯になる人相だと言われ、万里の長城の外で武功を上げ、定遠侯に封じられたという故事から。
燕頷虎頭(えんがんことう)
武勇に秀でた、勇ましい武者の容姿のたとえ。 または、遠い国の諸侯となる人の容姿のたとえ。 燕のような顎と、虎のような頭のことで、武勇に秀でた人物の骨相をいう。 中国の後漢の班超は筆書の仕事をしていたが、武功を上げたいと占い師に聞くと、遠い地域で諸侯になる人相だと言われ、万里の長城の外で武功を上げ、定遠侯に封じられたという故事から。
燕雁代飛(えんがんだいひ)
入れ違いになること。 または、互いに隔てられていることのたとえ。 燕が南から渡ってくる季節には、雁は北へ渡り、雁が北から渡ってくる季節には、燕は南に渡るために出会うことはないということから。 「燕雁(えんがん)代わって飛ぶ」とも読む。
燕頷投筆(えんがんとうひつ)
思い切った決意をして志を立てること。 または、文章を書く仕事をやめて、武の道に進むこと。 「燕頷」は燕のような顎という意味で、強く勇ましい人の人相。 「投筆」は筆を捨てること。 中国の後漢の班超は、筆書の仕事をしていたが、武功を上げたいと思い、筆書の仕事を止めて武将になったという故事から。 「燕頷(えんがん)筆を投ず」とも読む。
怨気満腹(えんきまんぷく)
恨みの感情が極めて強いこと。 恨みの感情が腹に満ちるという意味から。 「怨気(えんき)腹に満(み)つ」とも読む。
婉曲迂遠(えんきょくうえん)
直接的に言わないために回りくどいこと。 「婉曲」は遠まわしに言うこと。 「迂遠」は遠まわしで煩わしい、回りくどいこと。
延頸鶴望(えんけいかくぼう)
強く待ち焦がれること。 「延頸」は首を伸ばすこと。 鶴の長い首のように、長く首を伸ばして心待ちにするという意味から。 「頸(くび)を伸ばして鶴望(かくぼう)す」とも読む。
延頸挙踵(えんけいきょしょう)
強く待ち焦がれること。 または、すぐれた才能を持つ人物が現れるのを心待ちにすること。 「延頸」は首を伸ばすこと。 「挙踵」はかかとを上げて爪先立ちすること。 爪先立ちをしながら、首を長く伸ばして待ち望むということから。 「頸(くび)を延(の)べ踵(かかと)を挙(あ)ぐ」とも読む。
艶言浮詞(えんげんふし)
やさしく媚びる声やお世辞のこと。 「艶言」はやさしく媚びる声、猫なで声。 「浮詞」は媚びる言葉、お世辞。 相手の機嫌をとる言葉をいう。
遠交近攻(えんこうきんこう)
遠くの国と親しくして、近くの国を攻める策略。 中国の戦国時代に范雎が秦の君主に進言した策略で、兵法三十六計の第二十三計にあたる。
淵広魚大(えんこうぎょだい)
清廉で聡明な君主には、清廉で聡明な臣下が集まるということのたとえ。 「淵」は川や湖などで、水が深くなっている部分。 淵が広く深ければ深いほどにたくさんの大きな魚が集まるということから。 「淵(ふち)広ければ魚(うお)大なり」とも読む。
猿猴取月(えんこうしゅげつ)
自身の地位や能力を過信して、欲を出しすぎて身を滅ぼすこと。 「猿猴」は動物の猿こと。 猿たちが木の枝から次々と尾をつかんでぶら下がって、井戸の中の水に映った月を取ろうとすると、枝が折れてしまい、猿たちは溺れ死んだという昔話から。 「猿猴(えんこう)月(つき)を取る」とも読む。
猿猴捉月(えんこうそくげつ)
自身の地位や能力を過信して、欲を出しすぎて身を滅ぼすこと。 「猿猴」は動物の猿こと。 猿たちが木の枝から次々と尾をつかんでぶら下がって、井戸の中の水に映った月を取ろうとすると、枝が折れてしまい、猿たちは溺れ死んだという昔話から。
円孔方木(えんこうほうぼく)
物事が食い違っていて、上手く噛み合わないこと。 「円孔」は円形の穴。 「方木」は木を接合するときに、一方の穴にはめ込むための四角形の突起部分。四角形のほぞ。 木を接合するときに、円形の穴に四角形のほぞを入れようとするという意味から。
円鑿方枘(えんさくほうぜい)
物事がうまく噛み合わないことをたとえた言葉。 「円鑿」は丸い形の穴のこと。 「方枘」は木材を組み合わせるとき、穴にはめ込む四角い突起部分。四角いほぞ。 丸い穴に四角い突起を入れようとするという意味から。 「方枘円鑿」ともいう。
煙視媚行(えんしびこう)
恥じらいがあり、慎ましやかな新婦の様子。 「煙視」は煙の中でものを見るように、顔を伏せて見ること。 「媚行」はゆっくりと歩くこと。
円首方足(えんしゅほうそく)
人間のこと。 「円頭」は丸い頭。 「方足」は四角い足。 古代中国では、頭は天を、足は大地をかたどっており、人と天地は似ている存在と考えられていたことから。 「円首方足」「円顱方趾(円顱方址)」「方趾円顱(方址円顱)」ともいう。
円実頓悟(えんじつとんご)
あっという間に全ての真理を完全に悟ること。天台宗の言葉。
掩耳盗鐘(えんじとうしょう)
浅はかな考えで、自分で自分を欺くことのたとえ。 または、自分の良心を騙して、そのことを考えないようにしながら悪事を働くこと。 または、隠していた悪事がいつのまにか知れ渡ること。 「掩耳」は耳をふさぐこと。 男が大きな鐘を盗んだが、重くて持って帰ることができず、割って小さくして持って帰ろうと槌で打つと大きな音がして、他人に気付かれることを恐れた男は慌てて自分の耳を塞いだという故事から。 「耳(みみ)を掩(おお)いて鐘(かね)を盗む」とも読む。
燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく)
偉大な人物の志は、普通の人には理解できないということのたとえ。 「燕」は鳥のつばめ、「雀」は鳥のすずめ。 どちらも小さな鳥ということから、普通の人のたとえ。 「鴻」はおおとり、「鵠」はくぐいのことで、白鳥の古名。 どちらも大きな鳥のことで、英雄や豪傑などの偉大な人物のたとえ。 中国の秦の時代、日雇い労働をしていた陳勝が「互いに金持ちになっても忘れずにいよう」と仲間に言い、それを聞いた雇い主が「日雇いの分際で何を言っているんだ」と嘲笑した。 陳勝は「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」と嘆き、後に秦に反乱を起こして王になったという故事から。 「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」を略した言葉。
燕雀相賀(えんじゃくそうが)
新しい家の完成を祝う言葉。 家の軒の下に巣を作る鳥の燕や雀も、家の完成を祝うという意味から。 「燕雀(えんじゃく)相(あい)賀(が)す」とも読む。
怨女曠夫(えんじょこうふ)
結婚するのにふさわしい年齢や能力はあるが、結婚していない人のこと。 または、死別や離別をして伴侶のいない人のこと。 「怨女」は夫のいない女性。 「曠夫」は妻のいない男性。
遠水近火(えんすいきんか)
遠い場所にあるものは、差し迫った場面では役に立たないということ。 近所が火事になると、遠い場所にある水場から水を持ってきても間に合わないという意味から。 「遠水は近火を救わず」を略した言葉。
偃鼠飲河(えんそいんが)
人の欲望は、その人の分に応じたもので満足するべきであるということのたとえ。 分を弁えるべきであるという教え。 「偃鼠」は動物のもぐら。または、動物のどぶねずみ。 もぐらが河の水をどれだけ飲んでも、もぐらの小さな腹を満たす程度でしかないということから。 中国の聖天子の尭帝が許由に天下を譲ろうとした時に、許由は能力も才能もなければ、今の生活に満足もしていると言って断ったという故事から。 「偃鼠(えんそ)河に飲む」とも読む。
燕巣幕上(えんそうばくじょう)
安定せずに非常に危険な状況のたとえ。 戦場の本営などに張っている幕の上に燕が巣を作るという意味から。 「燕(つばめ)幕上(ばくじょう)に巣くう」とも読む。
円頂黒衣(えんちょうこくい)
僧侶の姿のこと。 「円頂」は髪を剃って丸めた頭。 「黒衣」は墨で染めた僧侶の服、僧衣。
円転滑脱(えんてんかつだつ)
角を立てることなく、物事を順調に処理すること。 「円転」は、滑らかに転がるという意味から、物事が停滞することなく進むことのたとえ。 「滑脱」は、状況に合わせて自在に変化するという意味から、手落ちのない応対をすること。
宛転蛾眉(えんてんがび)
美しい容姿を言い表す言葉。 「宛転」は三日月の形をした美しい眉。 「蛾眉」は蛾の触角のように細く長い眉。 唐の美女の楊貴妃をたとえた言葉。
円転自在(えんてんじざい)
言葉や行動を思うように、淀みなく行われること。 または、その様子。 「円転」は淀みなく動くこと。
鉛刀一割(えんとういっかつ)
普通の人でも力を発揮する時があることのたとえ。 または、二度使うことができないことのたとえ。 切れ味の悪い鉛の刀でも、一回切るくらいは使えるという意味から。 主に少しでも力になりたいということを謙遜していうときに使う言葉。
円頭方足(えんとうほうそく)
人間のこと。 「円頭」は丸い頭。 「方足」は四角い足。 古代中国では、頭は天を、足は大地をかたどっており、人と天地は似ている存在と考えられていたことから。 「円首方足」「円顱方趾(円顱方址)」「方趾円顱(方址円顱)」ともいう。
円頓止観(えんどんしかん)
人格を完成した完璧な悟りの境地をいう言葉。 すべての物事を完全に備えていて、雑念がなく、直ちに悟りに到る境地のこと。 すべての存在がそのまま真実の理法にかなうことを正しく観察すること。 主に仏教の天台宗で「漸次止観」、「不定止観」と合わせて、「三種止観」と呼ばれる言葉。
円融三諦(えんにゅうさんだい)
仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。 天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。 「三諦円融」ともいう。
延年益寿(えんねんえきじゅ)
寿命を長くすること。長く生きること。 「年(とし)を延ばし寿(じゅ)を益(ま)す」とも書く。
延年転寿(えんねんてんじゅ)
歳老いてもますます長生きすること。 「転寿」はさらに長生きすること。 元は仏教の言葉で、修行や仏の加護を受けることで寿命を延ばすという意味から。
婉娩聴従(えんばんちょうじゅう)
上品で落ち着いていて、人に優しく、人に素直で逆らわずに従うこと。 「婉娩」は上品で素直なこと。 「聴従」は言われたことに素直に従うこと。 女性への教えの一つとされた言葉。 「婉娩(えんべん)として聴(き)き従う」とも読む。
烟波縹渺(えんぱひょうびょう)
水面がもやなどでぼやけていて、空と水面の境界がよくわからない風景のこと。 「縹渺」はぼやけていて、はっきりと区別できない様子。 「烟波」は「煙波」、「縹渺」は「縹緲」「縹眇」とも書く。
鳶飛魚躍(えんぴぎょやく)
全ての生き物が生まれた時から持っている性質に従って、その性質を楽しみながら自由に生きること。 または、そのような天の摂理のこと。 または、よい政治が行われ、世の中が平和なことのたとえ。 「鳶飛び魚躍る」を略した言葉で、鳥の鳶が自由に空を飛びまわり、川の淵で魚が躍るという意味から。
猿臂之勢(えんぴのいきおい)
進退や攻守を自在に変化させることのできる軍隊の体制のこと。 または、遠い場所に陣を張ること。 「猿臂」は猿のような長いひじのこと。 弓を扱うには長いひじのほうが有利ということから、弓の扱いに長けた人のことをいう。また、長いひじを自在に操るということから、進退や攻守を自在に変えることができることをいう。
偃武修文(えんぶしゅうぶん)
世が平和で穏やかなこと。 「偃武」は戦を止めて武具を片付けること。 「修文」は学問を修めること。 争いがなく学問に努める事ができるという意味から。 「武を偃(ふ)せて文を修(おさ)む」とも読む。
閻浮檀金(えんぶだごん)
質の良い金のこと。 「閻浮」は仏教で須弥山のまわりにある四大陸の一つで、南にある大陸の閻浮提のこと。 「檀」は川。 閻浮提の大木の下にある金塊のことや、その近くにある川の砂金ということから。
閻浮檀金(えんぶだんごん)
質の良い金のこと。 「閻浮」は仏教で須弥山のまわりにある四大陸の一つで、南にある大陸の閻浮提のこと。 「檀」は川。 閻浮提の大木の下にある金塊のことや、その近くにある川の砂金ということから。
厭聞飫聴(えんぶんよちょう)
何度も聞きすぎて飽きること。 「厭」と「飫」はどちらも飽きるという意味。 「聞」と「聴」はどちらも聞くという意味。
厭聞飫聴(えんぶんよてい)
何度も聞きすぎて飽きること。 「厭」と「飫」はどちらも飽きるという意味。 「聞」と「聴」はどちらも聞くという意味。
淵変為瀬(えんへんいらい)
変化しないものは存在しないということ。 「淵」は川の中で底が深く、水がほとんど動かないところ。 「瀬」は川の中で底が浅く、流れのはやいところ。 静かな淵が流れの速い川へと変わるということから。 「淵(ふち)を変じて瀬(せ)と為(な)る」とも読む。
婉娩聴従(えんべんちょうじゅう)
上品で落ち着いていて、人に優しく、人に素直で逆らわずに従うこと。 「婉娩」は上品で素直なこと。 「聴従」は言われたことに素直に従うこと。 女性への教えの一つとされた言葉。 「婉娩(えんべん)として聴(き)き従う」とも読む。
怨望隠伏(えんぼういんぷく)
不満や恨みを隠して、表面に出さないこと。 「怨望」は不満や恨みを抱くこと。 「隠伏」は表面に出さないこと。
遠謀深慮(えんぼうしんりょ)
遠い先の未来のことに深く考えをめぐらせて、手抜かりのない計画を立てること。 または、その計画そのもののこと。 「深慮」は欠陥がないようにしっかり考えられた計画。 「遠謀」は将来のことを見通してしっかりと考えること。 「遠謀深慮」ともいう。
縁木求魚(えんぼくきゅうぎょ)
方法が間違っているため、どれだけ苦労しても目的を果たせないことのたとえ。実現が無理なことのたとえ。 木に登って魚を捕ろうとすることから。 「木(き)に縁(よ)りて魚(うお)を求む」とも読む。 「求魚縁木」ともいう。
円木警枕(えんぼくけいちん)
苦労しながらも力を尽くして勉学に励むこと。 「円木」は丸太。 「警枕」は深く寝入ることを防ぐための枕。 枕を転がりやすい丸太にすることで、深く眠り込むと目が覚めるようにして、寝る間を惜しんで勉学に励むという意味から。 中国の宋の司馬光が丸太を枕にして勉学に励んだという故事から。
円満具足(えんまんぐそく)
何一つ欠ける事なく、満ち足りていること。 「円満」と「具足」はどちらも不足することなく、十分に備わっているという意味で、同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。
円満成就(えんまんじょうじゅ)
少しも欠けがなく、完全に成し遂げられること。 仏教の言葉。
衍漫流爛(えんまんりゅうらん)
悪人が多く世の中全体に蔓延ること。 「衍曼」はどこまでも広がる様子。 「流爛」は離れ離れになること。 「衍漫流爛」とも書く。
衍曼流爛(えんまんりゅうらん)
悪人が多く世の中全体に蔓延ること。 「衍曼」はどこまでも広がる様子。 「流爛」は離れ離れになること。 「衍漫流爛」とも書く。
延命息災(えんめいそくさい)
災いに遭わないようにして、寿命を延ばすこと。 「息災」は災いをなくすこと。 日々を何事もなく平穏に過ごせることを仏や神に祈る言葉。 「息災延命」ともいう。
淵明把菊(えんめいはきく)
風流をこの上なく愛する人のたとえ。 「淵明」は人の名前で、東晋の詩人の陶淵明のこと。 「把菊」は菊の花を摘むこと。 九月九日の重陽の節句に祝いの酒がなく、することがないので菊の花を摘んでいると、郡の長官の使いが酒を持ってきたので、陶淵明は喜んで飲み干して、酔って家に帰ったという故事から。 『蒙求』の表題の一つ。
鳶目兎耳(えんもくとじ)
情報を集める能力の高い人のこと。 鳶のように遠くのものまで見分けることのできる目と、小さな音を聞き分けることのできる兎のような耳という意味から。
轅門二竜(えんもんにりゅう)
中国の唐の烏承ヒンと烏承恩の二人のこと。 二人が戦場ですぐれた功績をあげたことを評した言葉。 「轅門」は軍営の門のこと。 二台の戦車の轅(ながえ)を向かい合わせにして門にしたことから。
轅門二竜(えんもんにりょう)
中国の唐の烏承ヒンと烏承恩の二人のこと。 二人が戦場ですぐれた功績をあげたことを評した言葉。 「轅門」は軍営の門のこと。 二台の戦車の轅(ながえ)を向かい合わせにして門にしたことから。
円融滑脱(えんゆうかつだつ)
角を立てることなく、物事を順調に処理すること。 「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。 「滑脱」は、状況に合わせて自在に変化するという意味から、手落ちのない応対をすること。
厭離穢土(えんりえど)
この世は穢(けが)れたものであるとして、嫌い離れること。 「厭離」は嫌い離れること。 「穢土」は穢れた土地のこと。 仏教の言葉。おもに「厭離穢土、欣求浄土」という形で用いられ、穢れたこの世から離れて極楽往生を願うことをいう言葉。
延陵季子(えんりょうのきし)
中国の春秋時代の呉の季札のこと。 「延陵」は中国の呉の地名。 「季」は兄弟の四男のこと。 賢者の季札は、父親の呉王の寿夢の四男で、延陵を与えられて、見事にその地を治めたということから。
遠慮会釈(えんりょえしゃく)
他人のことを考えて控えめな態度で接すること。 「遠慮」は控えめにすること。 「会釈」はおじぎをして挨拶すること。転じて他人を思いやること。 多くは否定の語句をつけて、強引に物事を行うことを批判するときに使う言葉。 「会釈遠慮」ともいう。
遠慮近憂(えんりょきんゆう)
これから先のことをしっかりと考えて行動しないと、突然切迫した心配事が起きるということ。 「遠慮」は将来のことをしっかりと考えること。 「近憂」は身近なところで起こる心配事のこと。 「遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り」を略した言葉。
遠慮深謀(えんりょしんぼう)
深く考えをめぐらせて、遠い先の未来のことを見通して、手抜かりのない計画を立てること。また、その計画のこと。 「深謀」は欠陥がないようにしっかり考えられた計画。 「遠慮」は遠い先のことをしっかりと考えること。 「遠慮深謀」ともいう。
艶麗繊巧(えんれいせんこう)
文章や絵画などに、きらびやかで美しく、繊細な技巧をこらしている様子。 「艶麗」はきらびやかで美しい様子。 「繊巧」は繊細な技巧がこらされている様子。
円顱方址(えんろほうし)
人間のこと。 「円頭」は丸い頭。 「方足」は四角い足。 古代中国では、頭は天を、足は大地をかたどっており、人と天地は似ている存在と考えられていたことから。 「円首方足」「円顱方趾(円顱方址)」「方趾円顱(方址円顱)」ともいう。
円顱方趾(えんろほうし)
人間のこと。 「円頭」は丸い頭。 「方足」は四角い足。 古代中国では、頭は天を、足は大地をかたどっており、人と天地は似ている存在と考えられていたことから。 「円首方足」「円顱方趾(円顱方址)」「方趾円顱(方址円顱)」ともいう。