「ゅ」を含む四字熟語
「ゅ」を含む四字熟語 — 1291 件
十五志学(じゅうごしがく)
十五歳で学問をすることを心に決めること。 「十五」は十五歳のこと。 「志学」は学問をすることを心に決めること。 孔子が生涯を振り返って言った言葉から。 「志学」という言葉が十五歳のことをいうのは、この言葉が語源。
獣聚鳥散(じゅうしゅうちょうさん)
規律や統率が全くないものの集まり。 「聚」は集まるという意味。 獣のように集まって、鳥のように散るという意味で、獣や鳥が秩序なく集まったり散ったりする様子から。
十日一水(じゅうじついっすい)
細かい部分にも注意を払って作品を完成させること。 または、その作品のこと。 一つの川の絵を描くために十日間かけて、一つの石の絵を書くのに五日かけるという意味から。 精魂を込めて、注意深く作られた芸術作品を仕上げることをいう。
十日之菊(じゅうじつのきく)
必要な時に遅れたために、役に立たなくなったもののこと。 「十日」は九月十日のこと。 九月九日の菊の節句から一日遅れた菊という意味から。
充耳不聞(じゅうじふぶん)
耳を塞いで話しを聞こうとしないこと。 話を聞く気が全くないことをいう。 「充」は塞ぐという意味。 「耳を充(ふさ)いで聞かず」とも読む。
十字砲火(じゅうじほうか)
二箇所以上で連射が可能な火気を使い、射線が交差するように互いに支援し合う戦法。主に防御のときに効果を発揮する。第一次世界大戦で登場した戦法の一つ。 「十字」は漢字の十の文字の形。 「砲火」は大砲などの火器を撃ったときに出る火のこと。または、その弾丸のこと。 「十字火」ともいう。
重重無尽(じゅうじゅうむじん)
全てのものが、互いに数え切れないほどの関係を持っていて、反映し、一体化しあっているということ。 「重重」は何重にも重なり合っていること。 「無尽」は尽きないこと。 華厳宗の世界観を示す言葉で、十枚の鏡を張り巡らせた中央に一本の蝋燭を立てると、炎が鏡に移り、それがさらに別の鏡に映っていき、限りなく重なり合うように、世界は成り立っているとされている。 「十十無尽」とも書く。
柔茹剛吐(じゅうじょごうと)
弱者を見下して、強者に謙るという、世の常を言う言葉。 「柔茹」は柔らかい食べ物を食べること。 「剛吐」は固い食べ物を吐き出すこと。 「柔(じゅう)なるは茹(くら)い剛(ごう)なるは吐(は)く」とも読む。
獣尽狗亨(じゅうじんくほう)
目的を果たすまで重用されていた人が、その後冷遇されることのたとえ。 「狗」は猟犬のこと。 「亨」は煮ること。 獣を取り尽くした後、猟犬は不要となるため、煮て食べられるという意味から。 「獣(けもの)尽きて狗(いぬ)亨(に)らる」とも読む。
縦説横説(じゅうせつおうせつ)
思いのままに解説すること。 または、思いのままに議論をすること。 「縦…横…」は自由にという意味。
十全健康(じゅうぜんけんこう)
病気の部分がなく、完全に健康なこと。 「十全」は完全なこと。 「健康」は体や心に悪いところがないこと。
十全十美(じゅうぜんじゅうび)
不十分な部分がなく、完全であること。 「十全」と「十美」はどちらも全てのものに欠点などなく、完璧であるということ。
獣蹄鳥跡(じゅうていちょうせき)
世の中が酷く乱れていること。 「獣蹄」は獣の足跡。 獣や鳥の足跡が町中に溢れるという意味から。
縦塗横抹(じゅうとおうまつ)
思うままに書きなぐること。 「抹」は塗り消すこと。 縦に書いて横に消すという意味から。
十人十色(じゅうにんといろ)
性格、好み、考え方などは人それぞれ違うということ。 「十人」は十人の人のこと。 「十色」は十の種類があるということ。 人の性質は人それぞれ違うため、十人いれば十の種類に分かれるという意味から。
十年一日(じゅうねんいちじつ)
十年という長い期間が経過しても全く変わっていないこと。 または、長い期間が経過しても進歩や成長をしていないこと。 「十年」は年数の十年のこと。 「一日」は日数の一日のこと。 十年という長い期間、同じ一日を繰り返すという意味から。 また、十年間同じことを繰り返すということから、辛抱強く努力し続けることや変化しないように守り続けることをいう場合もある。
十年一剣(じゅうねんいっけん)
武術の修練を長い間積み続けること。 または、修練を積み続けた武術を発揮する機会を待つこと。 一振りの刀を十年磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
十年一昔(じゅうねんひとむかし)
世の中の変化が非常に激しいことのたとえ。 十年の年月を一区切りとして、十年という期間が過ぎれば、身の回りも変化して、もう昔のことのように感じるという意味から。
十年磨剣(じゅうねんまけん)
長い期間武術の修行をすること。 または、武術の修行をして、活躍する機会を待つこと。 十年の期間、一振りの剣を磨き続けるという意味から。 「十年、一剣を磨く」を略した言葉。
柔能制剛(じゅうのうせいごう)
能力の弱い者が能力の強い者に勝つこと。 柔らかい物が固い者に勝つという意味から。 主に「柔能く剛を制す」の形で用いることが多い言葉。
戎馬倥偬(じゅうばこうそう)
戦場で慌しく走り回り、忙しく軍務を行うこと。 「戎馬」は戦争で使うための武器と馬。 「倥偬」は非常に忙しいこと。
十風五雨(じゅうふうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
十万億土(じゅうまんおくど)
極楽浄土のこと。 「万」と「億」は非常に大きな単位のことで、「十万億」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「土」は仏の土地という意味の仏土のこと。 極楽浄土は、この世から十万億の非常に遠い場所にある仏土のさらに先にあるということから。
十目所視(じゅうもくしょし)
多数の人の意見や評価が一致することのたとえ。 十人が同じところをみることから。 「十目(じゅうもく)の視(み)る所(ところ)」とも読む。
十羊九牧(じゅうようきゅうぼく)
人口の割りに役人が多すぎることのたとえ。 十頭の羊に九人の羊飼いという意味から。
充閭之慶(じゅうりょのけい)
子どもが将来出世して、村の門が来客で満たされることを願う言葉。 「閭」は村の出入り口に設置されている門。 「慶」は喜び。 男子の誕生を祝う言葉として用いられる。
儒家者流(じゅかしゃりゅう)
孔子の学問を受け継ぐ学問の流派。
樹下石上(じゅかせきじょう)
出家して行脚している人の境遇のたとえ。 行脚している僧は木の下や石の上を宿にして生活するという意味の仏教の言葉。 「石上樹下」ともいう。
裋褐不完(じゅかつふかん)
貧しくて粗雑な衣服を身に着けていること。 衣服が破れたままで整っていないことから。 「裋褐(じゅかつ)完(まった)からず」とも読む。
熟思黙想(じゅくしもくそう)
心を落ち着かせて、しっかりと物事を考えること。 「熟思」はしっかりと考えること。 「黙想」は喋らずによく考えること。
熟読玩味(じゅくどくがんみ)
文章をしっかりと読んで、その意味を落ち着いてゆっくりと考えて味わうこと。 「熟読」は文章を繰り返し読んで、意味を十分に考えること。 「玩味」は食べ物の味をしっかりと感じながら食べるという意味で、文章の深い意味を読み取って味わうこと。 「熟読含味」とも書く。
熟読三思(じゅくどくさんし)
しっかりと考えながら読んで、その内容を繰り返し考えること。 「熟読」は文章をしっかりと考えながら読むこと。 「三思」は何度も考えること。
熟慮断行(じゅくりょだんこう)
不足がないようにしっかりと考え抜いた上で、固い決意を持って行動すること。 「熟慮」は不足がないようにしっかりと考えること。 「断行」は固い決意を持って行動すること。
寿則多辱(じゅそくたじょく)
長く生きることは、それだけ恥を晒すことが多くなるということ。 「寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多し」とも読む。
受胎告知(じゅたいこくち)
妊娠したことを知らせること。 キリスト教で天使ガブリエルが、聖母マリアの元へキリストを妊娠したことを告げた出来事から。
述懐奉公(じゅっかいぼうこう)
不満などの愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること。 「述懐」は愚痴を言うこと。 「奉公」は身をささげて仕えること。
朮羹艾酒(じゅっこうがいしゅ)
もち粟が入っている吸い物とよもぎの入っている酒のこと。 「朮」は粟の一種類のもち粟のこと。 「羹」は肉や野菜の入っている吸い物。 「艾」はよもぎのこと。 古代中国の洛陽で、五月の節句を祝うものとされていた。
十死一生(じゅっしいっしょう)
ほとんど助かる見込みがない状況でかろうじて助かること。
述而不作(じゅつじふさく)
昔の人の説を伝えるだけで、むやみに自身の考えを作らないこと。 『論語』「述而篇」の冒頭の言葉で、孔子が自身の学問への態度について述べたもの。 「述べて作らず」ともいう。
寿比南山(じゅひなんざん)
長生きを祝うこと。 「寿(じゅ)は南山(なんざん)に比(ひ)す」とも読む。
寿福無疆(じゅふくむきょう)
長寿と幸福がいつまでも続くことを願う言葉。 「無疆」はいつまでも続くこと。
授方任能(じゅほうにんのう)
仕事の方法や規範などを教え、有能な人材に官職を与えること。 君主がやるべきことをいう。 「方(ほう)を授(さず)け能(のう)に任(にん)ず」とも読む。
孺慕之思(じゅぼのおもい)
幼い子供が親を慕うこと。 または、他人にそのような感情を抱くこと。 「孺」は幼い子供のこと。 幼い子供が親を慕って泣き叫ぶのを見た、孔子の弟子である有子と子游が言ったという故事から。
儒林棟梁(じゅりんのとうりょう)
儒学者の世界で上にたって、重い責任を担っている人。 「儒林」は儒学を学んだり、研究している仲間のこと。 「棟梁」は人をまとめて率いる人、統率者のこと。
純一無雑(じゅんいつむざつ)
他の物がまったく混ざってない様子。 または、邪心や偽りなどが一切無く純粋なこと。 「純一」や「無雑」はどちらも他のものが全く混ざっておらず純粋であるという意味で、同じ意味の語を重ねて強調した言葉。 「純一(じゅんいつ)にして雑(まじ)ること無し」とも読む。
循規蹈矩(じゅんきとうく)
規則を守り続けて行動すること。 「循」は従って行うこと。 「規」は円を描くときに使うコンパスのこと。 「蹈」は守ることを守りながら行動すること。 「矩」は四角形を描く時に使う曲尺。 変化や変革を嫌う人のたとえとしても使われる。 「規(き)に循(したが)い矩(のり)を蹈(ふ)む」とも読む。
順逆一視(じゅんぎゃくいっし)
人生の本質を見通し、幸不幸に振り回されないこと。 「順逆」は幸せと不幸せ。 「一視」は同じものとして見ること。 人生の幸せと不幸せを同じものとして見て、感情をこえた境地に立つこと。
純潔清浄(じゅんけつしょうじょう)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「清浄」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
純潔無垢(じゅんけつむく)
汚れが全くない、真っ白な心のこと。 「純潔」は清らかなこと。 「無垢」は穢れが全く無いこと。 似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)
故郷のことを懐かしいと思う気持ちのこと。 または、故郷の懐かしい味のこと。 「蓴羹」はじゅんさいの吸い物。 「鱸膾」は魚のすずきのなます。 中国の晋の張翰は、故郷の食事であるじゅんさいの吸い物と、すずきのなますが恋しくなり、官職を辞めて洛陽から帰郷したという故事から。
徇国死義(じゅんこくしぎ)
国の危難に迫られても、筋を曲げることなく死を選ぶこと。 「国(くに)に徇(したが)いて義(ぎ)に死す」とも読む。
徇私舞弊(じゅんしぶへい)
不正なことをして、法律などを捻じ曲げることで、それを正しいことにすること。 「徇私」は自身の利益だけを追い求めること。 「舞弊」は法律や規則を、自分の都合がよいように歪めること。 主に、官吏が個人の利益のために不正を行い、法や規制をまげて罪にならないようにすることをいう。
純真可憐(じゅんしんかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純真」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
純真無垢(じゅんしんむく)
邪念や私欲などのない清らかな心を持っていること。 または、自然のままで飾り気のない様子のこと。 「純真」と「無垢」はどちらも清らかで汚れのないという意味。 同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉。 主に子供のことをいう言葉。
純情可憐(じゅんじょうかれん)
邪念や私欲などがなく清らかで、素直で愛らしいこと。 「純情」は心が清らかで素直なこと。 「可憐」はいじらしく愛らしいこと。 主に少女に対して使う言葉。
順水推舟(じゅんすいすいしゅう)
情勢に合わせてやり方などを変え、うまく物事を成し遂げることのたとえ。 川の流れに逆らわずに舟を進めることから。 「水(みず)に順(したが)いて舟(ふね)を推(お)す」とも読む。
純精無雑(じゅんせいむざつ)
わずかな汚れもなく、混じり気のない様子。 「純精」と「無雑」はどちらも純粋という意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
醇風美俗(じゅんぷうびぞく)
他人への思いやりのある、美しく望ましい風俗や習慣。 「醇風」は人への思いやりのある習慣。 「美俗」は美しい習慣。 「淳風美俗」とも書く。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)
特に問題が起きることなく、思い通りに物事が進んでいくこと。 「順風」は追い風。 「満帆」は船の帆をいっぱいに張ること。 船の帆が追い風を受けていっぱいに張り、順調に進んでいくという意味から。
循名責実(じゅんめいせきじつ)
名前と実質が伴っているか調べ考えること。 「責実」は実績を求めること。 行動や口実が職分に合っているかをしっかりと調べて考えることをいう。 「名(な)に循(したが)い実(じつ)を責(せ)む」とも読む。
上昇気流(じょうしょうきりゅう)
上に昇っていく大気の流れのこと。 または、物事が特に問題なく、調子よく進むこと。 「上昇」は上にのぼること。 「気流」は大気の流れ。
常住坐臥(じょうじゅうざが)
ふだん、いつも。 「常住」はいつもという意味。 「坐臥」は座ることと寝ること。 座っているときも寝ているときもという意味から。 「行住坐臥」の「行住」と、「常住」が混同されてできた言葉。 「常住座臥」とも書く。
常住不断(じょうじゅうふだん)
途切れることなくずっと続いていること。 「常住」と「不断」はずっと続いているという意味。 「常住」は仏教の言葉で、過去から現在、未来にわたって変わることなく続いていること。
常住不滅(じょうじゅうふめつ)
いつまでも変わらずに滅びないこと。 「常住」は生まれたり死んだりすることなく、いつまでもあり続けること。
常套手段(じょうとうしゅだん)
いつも決まって使われる手段や方法のこと。 または、誰もが知っているような手段や方法のこと。 「常套」は古臭くて誰でも知っているようなこと。
常命六十(じょうみょうろくじゅう)
人の命はおおよそ六十歳くらいであるということ。 「常命」は平均の寿命。
上漏下湿(じょうろうかしゅう)
貧しい家、あばら家を言い表す言葉。 屋根からは雨が漏れてきて、床から湿気が上がってくるという意味から。 「上(かみ)は漏(も)れ下(しも)は湿(しめ)る」とも読む。
如影従形(じょえいじゅうけい)
非常に深い関わりがあること。 影の形はそのものの形に従うことから。 「影(かげ)の形(かたち)に従(したが)うが如(ごと)し」とも読む。
除旧更新(じょきゅうこうしん)
以前からの制度や慣習のうち、時代や状況に合わなくなったものをよりよいものへと変えること。 古くなったものを新しいものへと変えることから。 「旧(ふる)きを除き新しきに更(か)う」とも読む。
如左右手(じょさゆうしゅ)
その人にとって頼りとなる存在。または、お互いに協力して助け合う様子。 「左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し」とも読む。
如出一轍(じょしゅついってつ)
意見や行動が似ていること。 「轍」は車の車輪の跡。 同じ轍から出てきたようであるとの意から。 「一轍(いってつ)より出(いづ)るが如(ごと)し」とも読む。
人海戦術(じんかいせんじゅつ)
たくさんの人を使って、仕事や任務を成し遂げようとするやり方。 「人海」は人がたくさんいる様子を海にたとえた言葉。 元は人を多く集めて数の力を使い、敵軍を倒す戦略のことをいう。
人権蹂躙(じんけんじゅうりん)
人が生まれながらに持っている権利を侵すこと。 または、憲法で保障されている、国民が人らしく生きるための権利を国家が侵すこと。 「人権」は人が生まれながらに持っている、人らしく生きるための権利。 「蹂躙」はふみにじること。侵害すること。
人口稠密(じんこうちゅうみつ)
人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。
人主逆鱗(じんしゅのげきりん)
君主や支配者から怒りを買うことのたとえ。 「人主」は君主や支配者のこと。 「逆鱗」は竜の顎の下に逆さに生えているとされる一枚の鱗のことで、これに触ると竜は激怒して触った人を殺すという伝説から、上の立場の人からの激しい怒りを買うことのたとえ。 「人主もまた逆鱗有り」を略した言葉。
人死留名(じんしりゅうめい)
功績を上げて世に名前を残すこと。 「人を死して名を留(とど)む」とも読む。
人心収攬(じんしんしゅうらん)
たくさんの人たちの心をしっかりとらえてまとめること。 または、たくさんの人たちの信頼を得ること。 「収攬」はまとめて手でにぎること。
人中之竜(じんちゅうのりゅう)
たくさんの人の中でも、飛びぬけてすぐれた才能のある人のこと。 「竜」はすぐれた才能を持っている人のたとえ。 中国の晋の時代の隠者の宋繊を称賛した言葉から。
尽忠報国(じんちゅうほうこく)
国に忠義を尽くして、国からの恩に報いること。 「尽忠」は誠意を込めて君主や国家に尽くすこと。 「報国」は国から受けた恩に報いること。 中国の南北朝時代の皇帝宣帝の死後、その遺言に背こうとした高官を顔之儀が諫(いさ)めたとされる言葉から。 「報国尽忠」ともいう。
陣中見舞(じんちゅうみまい)
頑張って仕事をしている人を訪ねて励ますこと。 または、そのときに渡す贈り物のこと。 「陣」は戦場の中の本部。 もとは、戦場で戦う兵士を訪ねて労うことをいう。